パルシステム茨城 栃木 福祉プロジェクトチーム主催「認知症の人への接し方と認知症カフェ」学習会開催

認知症は年齢に関わらず、誰もが当事者になりうる身近なものになっています。一方で、実際に家族や身近な人が認知症になった時、「どう向き合えばいいのか分からない」「接し方に迷ってしまう……」と戸惑う人も多いのではないでしょうか。

そんな“不安・もやもや”のヒントとなる学習会が、11月16日(日)、ひたちなか市のワークプラザ勝田で開かれました。

タイトルは「認知症の人への接し方と認知症カフェ ― 新しい認知症観とは ―」。
高知県立大学 社会福祉学部の矢吹知之教授を講師にお迎えし、認知症観の変化や、従来の「高齢者サロン」と「認知症カフェ」の違いなどを分かりやすくご講義いただきました。認知症の“今”を学ぶ貴重な時間となりました。

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― もくじ ―
1. 開催背景
2. オープニング・地域の取り組み紹介
3. 新しい認知症観とは?
 ◾️古い認知症観を作ってきた歴史 
 ◾️認知症観の変化〜古いから新しいへ
 ◾️“空白の期間”へのアプローチ
 ◾️認知症カフェはなぜ必要?
4. おわりに

1. 開催背景
主催は、「パルシステム茨城 栃木」福祉プロジェクトチーム。高知県立大学、ともに歩む認知症の会・茨城(水戸市)、日立市そよかぜの会、ひまわりの会(取手市)、茨城県生活協同組合連合会みまもりあいプロジェクトの協力のもと、パルシステム共済連「福祉・たすけあい助成金」を活用して開催されました。

いばらきみまもりあい推進ネットワークの団体メンバーでもある、パルシステム茨城 栃木。日頃から、多世代・多機能な居場所づくりの活動を積極的に行っており、これまでも傾聴学習会や福祉イベント、生きがいづくり講座などを開いてきました。

今回の学習会はその一環として、認知症への理解と居場所づくりの必要性の両面から企画。組合員を中心に約40人が参加しました。

― 講師 矢吹 知之氏 ―
専門分野は、社会福祉学、認知症(認知症カフェ、家族支援、地域ケアプログラム)。2023年に高知県立大学に着任。2024年からは、オランダのアルツハイマーカフェをモデルにした、認知症カフェ「土曜の永国寺カフェ」を毎月1回、同大学永国寺キャンパス内で、学生と地域住民の方たちと共同運営されています。

2. オープニング・地域の取り組み紹介
オープニングでは「日立市そよかぜの会」の吉成さん、「ともに歩む認知症の会・茨城」の澁谷さん、「ひまわりの会」の平山さん(司会・進行役兼務)から挨拶をいただきました。
三人からは、各団体が取り組んでいる認知症カフェや家族会、ワークショップなど、地域に根ざした活動が紹介されました。

次いで、主催者のパルシステム茨城 栃木・福祉プロジェクトチームが、助成金制度を活用して、より良い社会の構築に向けて地域活動を後押ししている取り組みを紹介。
「一人ではできない大きな活動を、組合の力で応援する」という思いが語られました。

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3. 新しい認知症観とは?
急速な高齢化に伴って、認知症800万人時代と言われる現在。65歳から加齢につれて認知症有病率は高まっていき、90歳以上の女性では約7割に認知症があると言います。はじめに矢吹先生は、認知症有病率の研究報告を紹介し、2012年に462万人・15.0%だった認知症有病率が、10年後の2022年には443万人・12.3%に減少したという調査結果を示しました。

2012年の報告に比べて有病率が低かった理由として、研究報告書では喫煙率の低下や生活習慣病管理の改善、健康意識の高まりなどにより、認知機能低下の進行が抑制され、軽度認知障害(MCI)から認知症になった人の割合が低下した可能性があるとされています。
しかし矢吹先生は、果たしてこれだけが理由でしょうか?と、認知症に関する社会的支援の選択肢が増えたことの影響を示唆。社会から受ける影響も大きいと話しました。

■古い認知症観を作ってきた歴史
2024年1月、認知症になっても希望を持って、自分らしく暮らせる共生社会の実現を推進するための「認知症基本法」が施行されました。その中でうたわれているのが「新しい認知症観」です。

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(講演会資料より)

「新しい認知症観」という言葉が今注目される背景には、長く人々に根づいてきた「古い認知症観」があると言います。
「古い認知症観」はどのように作られてきたのか、その歴史を重要な出来事とともに振り返りました。

1900年、「精神病者監護法」が制定されると、私宅監置が合法化。病気になった人を精神病患者として隔離し、家の中には座敷牢のような閉じ込め部屋が作られていた実態は、まるで犯罪者のような扱いだったと、認知症の負の歴史が語られました。

そんな状況を変えようと、1930年代には病名を変える動きが生まれます。しかし、法律の改正には長い時間がかかったと言います。
2004年に「痴呆」という呼称が「認知症」に変更されたことを皮切りに、認知症施策が急速に進展。ようやく少しずつ本人の声を軸にした施策が進んでいきました。そして、長年の取り組みが結実する形で施行されたのが「認知症基本法」です。

この法律の目的は「認知症の本人が尊厳と希望を持って暮らせる社会をつくること」。ただし、「当事者だけのためではなく、私たち自身がどのように捉えるかが大切であり、決して他人事ではない」と矢吹先生は言います。

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■認知症観の変化〜古いから新しいへ
講演テーマである「新しい認知症観」。
その核は、「認知症になったからといって“何もできなくなる”のではない」という捉え方です。

昔は、認知症の人に対して
• 無理やり薬を口に押し込む
• “どんな髪型でも分からないだろう”と同じ髪型にする
• 介護しやすいようにつなぎを着せ、混浴まで行われた
といった、本人の尊厳を無視した対応が当たり前のようにありました。
矢吹先生は「あの時代の“古い認知症観”には、決して戻ってはいけない」と力を込めます。

地域の人に一番よく聞かれる質問は「これって認知症? それとも加齢の物忘れ?」
というものだそうです。
講演では、「加齢によるもの忘れと認知症の記憶障害の違い」をまとめた表を紹介しつつ、一見分かりやすい線引きへの危うさが指摘されました。

「診断でははっきり分けなければならないが、実際の行動はもっとグラデーションで、人によってモザイク模様のように違う」と矢吹先生。
“認知症だから○○できない”と一括りにするのは古い認知症観であり、“表”どおりにいかないのが現実だと言います。

また、認知症の人に見られる「行動・心理症状(BPSD)」についても、薬の適応や診断のために体系化されてきた背景があると説明。不安・孤独・恐怖・不快感などの感情を見ないように蓋をすると、暴言や無気力といった行動に現れることがあるとのこと。
「この人はいま何に困っているのか?」という視点で、まず感情に目を向け寄り添うこと。話を聞いたり、手を握ったりーそれだけでも不安は和らぎます。
行動ではなく“気持ち”を見ることが、より良い関わり方につながると強調されました。

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■“空白の期間”へのアプローチ
講演では、「認知症の人と家族への支援は、医療的処方と社会的処方の両輪が大切」というメッセージが語られました。

“空白の期間”とは、認知症と診断された後、治療は始まっても社会的な支援につながらず、孤立してしまう状態のこと。

「薬をもらって家でじっとしていれば良くなるのか」「家で大人しくしていることが本当に健康なのか」ー。
空白の期間に足りなかったのが、人や社会とのつながりを生み出す支援、つまり「社会的処方」でした。

先生の実体験として、農家だった母親が役割を失う冬に症状が悪化し、役割が戻る春に元気になるという季節変動の話や、「食べたかどうか」を空腹状態ではなく、目に見える生活の変化で確認している話が紹介されました。

さらに、海産物の着払い定期便トラブルの対応例からは、「全ての行動には意図とこだわりがある」「本人を責めても状況は変わらない」という学びが共有されました。

近年はMCIなど、超早期診断の対象者が増えている一方で、診断後の行き場がない人も増えているという現状を指摘。だからこそ、「支援につながる診断」「認知症カフェなどの受け皿」「早期の社会的支援」の重要性は、これからさらに高まっていくと言えます。

■認知症カフェはなぜ必要?
認知症支援では、対話と交流の“開かれた場”を地域で育てることが大切だと語られました。それが「認知症カフェ」です。
全国で8,500カ所以上に広がる認知症カフェは、子どもから大人まですべての人が対象。誰でも参加できる開かれた場であることが、一般的な高齢者サロンとの大きな違いです。

矢吹先生は、認知症カフェの運営に携わっている経験から、認知症の診断前後のギャップをなくし、認知症になる前から出会いをつくる仕組みの大切さを強調。地域の専門職や理解者と日常的に関わることで「診断後も安心してつながりが続く地域」が作られていくと言います。

さらに、生活の中の“困りごと”を見える化する「くふう展」の事例(家の鍵はバッグに付ける、よく使うものをフックで吊るす、ごみの分別を大きく表示など)からも、「見える形で関わりをつくることが理解と支援の入り口になる」という学びが共有されました。

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4. おわりに
頼れるのは薬や医療行為だけ……という時代を経て、今は支援の選択肢が圧倒的に増えました。認知症になってから支援を探すのではなく、その前から地域で出会い、つながりを積み重ねること。「診断後も、なんとかなるかもしれない」と思える選択肢=希望を、地域の中に“たくさん見える形で”つくっていくこと。これが今後さらに大切になっていきます。

「なんとかなる」の“なんとか”は、人・場・関わり・仕組みから作り出すもの。
それを住民参加型の対話形式で広げていくことで、地域全体がゆるやかに変わっていくーそんな希望の道筋が示された講演でした。

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